とりすみコラム

なぜ、神社は朱色なのか?

・なぜ、神社の建物は朱色・屋根の色が青緑色なのか?

・この朱色の原料はなんでしょうか?

  那智大社 厳島神社

朱色というのは、古代の言い方で「丹(に)」と言います。これは魔を払う力がある色と考えられていました。

 丹を作るには水銀と硫黄を加工するのですが、この水銀も硫黄も毒性の高い物質です。その毒をもって魔を除ける、という意味合いがあったようです。同じような理由から、屋根の銅板葺きは、銅の加工品である緑青(神社の屋根の色などに使われている青緑色)も、銅の毒性から魔除けに転じたと言われています。

朱色は、丹(に)という色なのです。丹塗りとも言います。「丹」は鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて精製したもの。神社など以外でも橋の欄干などにも塗られています。魔よけの意味もありますが、一種の防腐剤という意味もあったわけです。また、たん 「丹」とも読みます。硫黄と水銀との化合した赤土です。

①、 硫黄と水銀との化合した赤土。また、その色。辰砂(しんしゃ)。

②、 鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの。鉛の酸化物。黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする。主成分は四酸化三鉛。鉛丹(えんたん)。

③、 薬のこと。特に不老不死の薬。中国の秦の皇帝が求めた。

④、 ① ② のような黄赤色。

 

朱色は魔除けや不老長寿を象徴する色として、 古代より宮殿や神社仏閣に多く用いられてきました。この朱色は中国の錬丹術に由来し、 硫化水銀の粉末である辰砂が原料です。

 これを古代日本では「丹(に)」と呼んでいたわけです。水銀は奈良の大仏の金メッキにも使われましたが、 錬金術ではなく錬丹術と名付けられたのは、「金」よりも「丹」を重要視されていたからだそうです。現在の地名に「丹生(にう)」とつく地域は、かつて水銀採掘が行われていたことを示します。

高野山の周辺には丹生都比売神社・丹生酒殿神社、東吉野村では丹生川上神社といった丹生の名がついた神社が多数存在します。もしかすると「空海」が高野山を選んだ理由は水銀鉱脈(辰砂)を探していたのかもわかりません。 空海は経済感覚でも優れた人物だったようです。ちなみに高野山の麓には九度山があります。 関ヶ原の戦いの後に真田幸村が配流された地です。 後に幸村が大坂の陣で赤備えを率いて現れるのも、 この地に豊富な水銀に支えられていたということです。

辰砂(水銀の原石)

 水銀は、赤色の辰砂を空気中で 400-600 ℃ に加熱すると、水銀蒸気と亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が生じます。反応式「HgS+ O2→ Hg + SO2↑」この水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀を精製します。2000年も前の人は、どうして、この事実を知ったのでしょう。古代の人は、自然界にある水銀(液体)の利用法をどうして見つけたのでしょうか。そのキーワードは、『金メッキ』にあるようです。

古代では、金を取り出すのに用いられたのです。水銀の性質に、多くの金属を溶かして、アマルガム(水銀と他の金属との合金)を作ることができます。金を含む鉱石は金の融点である1064℃の温度を加えますと、溶けますから、現在の方法を用いますとわけなく手に入れることができますが、当時は、そのような高温を得ることはできなかったと思われます。そこで、500℃ぐらいで水銀を用いますと、金を取り出すことができたことになります。

西暦200年ごろの中国は,後漢の時代で仏教の信仰がひろまり,金メッキした銅製の仏像が盛んにつくられました。金と水銀と混ぜて溶かした金アマルガムを作り、これを仏像の胴表面に塗り、熱を加えますと、水銀は飛んでなくなり、金だけが残り、金メッキができますが、中国は既にこの技術をもっていたのです。『東大寺大仏記』によりますと、大仏に金メッキを施すのに水銀五万八千六百二十両,(約50トン)、金一万四百四十六両(約9トン)を用いたとあります。

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